ある特定の場所に行った時に、急にスイッチが切り替わるような不思議な感覚を体験することがある。
私の場合直近だと数年前、吉野の金峯山寺境内に入った瞬間に、ソレを体験した。
私の大好きなお大師様の高野山とならんで、世界遺産にもなっている立派な処だからだったのだろうか?
そんなミーハーな感じとは、少し違う感じで懐かしいと言うか、帰って来たと言う感じっていうか、不思議な感覚でした。
私は現在、信貴山真言宗で学ばせて頂いている。
金峯山寺は天台系の修験の寺院で、唱えられているお経も少し違い、初体験なことばかりなのに、何故か帰郷したような懐かしさを感じた。
しかも、あろうことか始めてのお詣りなのに境内に入った途端に不謹慎にも、
『ここで一から学び直せるなら、佛教にもう一度最初からちゃんと向き合い直したい』
と言う何とも図々しいというか、自分の心と自分の頭が
『えっ?なんと?』
と言う気持ちとバラバラに考え始めた。
今考えれば、これは私をずっと護ってくれてた護法さんからのプレゼントっていうか、スイッチのパチンと切り替えだったのだろうと、想像しています。
私なりの、その理由はすぐにわかった。
拝観料を支払い、蔵王権現様をお詣りさせて頂く。その後奥の佛様方をお詣りさせて頂く。
二回目の角を曲がってすぐに、❮身代わり不動❯様がいらした。
本当に青黒いやいや、青光りする黒色のお不動様の目の前に来た瞬間に、初めて見るのに?初めてのお詣りなのにこのお不動様知ってる!しかも超よく知ってる!
『こんな遠くから来ててくれたんだぁ』
と目からウロコ。
間違いなく私が本当に困った時など本気で、不動明王慈救呪を唱えた時に来てくれてるお不動様はこの人。
もう見覚え処じゃなくまさにこの人。
長年の謎が解けました。
私を助けてくれたお不動様はお不動様であって、よく見る姿のお不動様がお不動様なんじゃない。
山岳信仰していた?山岳信仰している?修行者さんの中でも自在な無数の存在がお不動様なんだと、瞬間的に理解出来ました。
どうして、金峯山寺のお不動様が来てくれていたのかは未だに不明です。
でも間違いなく、私の不動信仰の原点となったお不動様は、今は蔵王堂にいらっしゃいました。
まぁ、それがちゃんと佛道修行に戻るスイッチだった。
でも信貴山には平成5年頃から行ってるのだから、そこに戻るのが善いのか?色々考えて信貴山で修行を進める事にしたことは、私にとって抜群な選択だったと思います。
いやいや、毘沙門天王様が拾ってくれたのよ。
『手のかかるアホウは他の佛様のご迷惑となる、お前さんはワシが面倒みちゃるわい』
と昔ヤンチャなちょいワルオヤジ毘沙門天王様が微笑んだんだね。