18歳から20歳の時、一ヶ月に1週間ずつ、冬以外の約2年半、京都の宇治田原町にある禅定寺様で募集のあった、『私の佛様』と言うプロジェクトに参加させて頂きました。
その当時としては、防災壁をキャンパスに見立て、日本最大の壁画を、画家の本多豊國先生と言う方がお描きなり、その回りを額縁のように、一般募集した人たちが描かせて頂けると言う、ありがたいプロジェクトでした。
この時の絵を先日、久しぶりにお詣りに伺った時に、懐かしくご住職様の許可を頂き、近くまで寄らせて頂き、撮影いたしました。
当時は右も左も解らないウブな年齢ですから、お不動様の絵を描く以外、頭にありませんでした。
見よう見まねに、持ち物や、細部の条件を調べ、聞いて、教えてもらい、気持ちだけが一人前で、技術も教養もない私が選ばれちゃって、申し訳ない気持ちもありましたが、晴れてる日は一生懸命描きました。
雨が降ると寺院散策に、京都の寺院に参拝し美味しいものを食べ歩いていた件はコソーリのお話しです。
真言を唱えながら、一筆一筆、しっかり塗らせて頂きましたので、今でも過去とそう変わらずの姿で待っていてくれました。
この時に、距離はまぁまぁありましたが、信貴山千手院に下宿させて頂き、朝の勤行やら、夕方の宴会(バブル期の名残で宿坊も宴会みたいな事が沢山あった)の片付けの手伝いをさせて頂いていました。
千手院に泊めてもらっていた平成7年の7月3日の読売新聞関西版の一面に、大きくカラーで掲載された時には、毘沙門天王様の威力のスゴさを心から感じました。
毘沙門天王御出現大祭の朝刊の一面ですよ!
もう、この頃からサプライズ好きな紳士でいらっしゃったのですね。
多少の風化は否めませんが、ほぼそのままのお不動様でした。
下手はご愛敬。
約30年経ち風化が進む。
これが原案で、囲むよう1メートル四方のマスを担当させて頂きました。
禅定寺様風景。