白蓮庵のブログ

群馬大好きおババ 七合目の行者悠眞 白蛇くぅチャン♪るぅチャン♪とのラブリーな生活や大自然との共生、お詣り報告やファンタジーワールドIF愉快な仲間たちとの修行体験記。ほぼ雑談。いや、ほぼ食べ物の話かも。

群馬アウシュヴィッツ跡地見学

仕事で近くまで行ったので、草津温泉に行こうと思いましたが、不思議なナビの導きでハンセン病の栗生楽泉園【重監房資料館】に行ってきました。

https://www.nhdm.jp/sjpm/


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群馬に住んでいながら、今の今まで知らなかった事を恥じています。

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通りすがりにナビが誤作動したご縁に感謝だわ。


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妙な焦燥感にかられ角を曲がって入ってみました。


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資料館は貸切だった。


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パンフレットの束ををくれました。


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湯畑から車でたったの5分の処で行われていた悪魔の所業に深い悲しみと、怒りと無知な自分に向き合える時間を頂きました。


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親切なスタッフの方からお声掛け頂き『お時間大丈夫ならどうぞ』と約25分の動画を見せて頂きました。


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【特別病室】と言う名前のもと、見るに耐えない資料に嗚咽が止まらず、目はパンパン。


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病人を4.5メートルの壁で何が特別病室なんだか?

ブチ込んだ重監房の再現スペースに更に涙。


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名ばかりの医務室だったらしい。

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重監房には電灯はあっても電気は引かれていなかったそうです。

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外界との窓はたった2つ。とても小さい。

キャベツ程の食事を入れる窓。


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上の方に見える大根程のサイズの明り取り窓。

曇り空の日は昼夜すら分からなかったらしいほど小さな窓が外界との接点。

約120センチの入口の異様さ。


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こんな看病があるか、許しがたい。

どうかしてる。

こんな所に看病と称して200日以上も、長い人は500日以上も閉じ込めていたそうです。


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私達はこういう時代の犠牲となった人がいる横で宴会をしたり、『リフレッシュねー』と温泉を楽しみ、ボケっとした幸せを幸せとも感じずに生きている罪をヒシヒシと感じる。

知らぬとは罪な事を真正面からバットで殴られたように感じました。

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この数年で一番泣きました。

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〜〜〜下記引用 1 〜〜〜

夏なんか特別病室へ行くと、小説に出てくるように南方で戦死した人に蛆がさがって まったくあのとおりだよ。あんなせ まいところからどうして蠅が入ってタマゴを 生みつけたんか、包帯をとると、ぼろぼろ 蛆が出てくる。1週間か2週間に1回、看護婦が包帯を交換するわけなんだけど、嫌がってなかなか行かないんだ。行くときはおれたちがついて行く。 〔高田孝〕

『日本のアウシュビッツ

高田孝 ハンセン病国賠訴訟原告団(草津)、  同支援する会(草津) 1999(平成11)年

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〜〜〜下記引用 2 〜〜〜

汗かいて、病んで、尿や糞をたれ流し、それがふとんにしみ通り、凍ったふとんに寝てる。死んで凍るんじゃあ なく、生きているうちに凍っちゃうんだもの、むごい話だよ。

 看護婦が1週間に1回くらい外科治療に行くんだが、こわがってなぁ、「ついてってくれ。」って言うから、しょうがねぇついて行くんだ。〔高田 孝〕

『日本のアウシュビッツ』 高田孝 ハンセン病国賠訴訟原告団(草津)、 同支援する会(草津) 1999(平成11)年


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〜〜〜下記引用 3 〜〜〜

死んだのはほとんど冬のあいだだった。おれは5、6人 出しに行った。

板の間に敷ぶとん1枚にかけぶとんが1枚あるだけ。両手を上げ干乾しだか凍死だか 、干からびた蛙のように凍りついて死んでいる。

寒いときは敷きぶとんが下の板に凍りついちゃっている。だれもさわりたくないよ。ふとんごともって行こう、と思うんだ。 

2、3人が中に入って、1人が敷ぶとんの裾をもち上げ、工事のときに捨ててある板きれをつっこんでこすり、こじってはがすんだけど、光がないところで掻くんだから戸がしまったらよけい暗くなるし、扉が閉まったら、そりゃあ絶望的な気分におそわれる。

「閉めるな!閉めるな!」って叫びながら、やっと氷をはがす。

苦しんで死ぬんだから、まっすぐばかりに死んではいない。90センチほどの出口からなかなか出せないこともあった。〔高田孝〕 

 

『日本のアウシュビッツ』 高田孝 ハンセン病国賠訴訟原告団(草津)、 同支援する会(草津) 1999(平成11)年


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もう頭痛がするほど泣きまくってる。

 

でも2つ救いがあったの。

一つ目は高野山から何代目だかの管長様がきて、勧請した大師堂が敷地内にはあるらしいことがわかった。

二つ目は誰でも納骨堂はお詣りが可能な事。

拙い法楽で本当に申し訳ないが、少しの間でありましたが、手ぶらで伺ってしまった私に出来る限りのお勤めをさせて頂きました…

こういう時に自分の未熟さを徹底的に思い知るのでした。


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帰りには分厚い冊子も数冊下さいました。


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