雪ちゃんとの出逢いは、高崎の北東部に位置する、とある会社で平成28年位まで、働いていた時である。
私はこの会社で約12年働いていたいた。
自分としては、仕事内容も天職だと思う程、楽しく仕事をしていた。
しかし今考えて見れば繁忙期は残業が100時間近くなることもあり、自分と向き合い自分を見つめ直す時間は持てなかった。
私はその中で、ある事故をキッカケとして、自分の軌道修正をすることとなった。
それはある日、その会社で死亡事故が起きた。
その加害者となってしまった同僚は、偶然の重なりだと思っているかもしれないが、私はそれまでに、何度もその映像を繰り返し観ていた。
その度に即時起きるものと、毎度毎度ヒヤヒヤし、他の同僚や、上司に進言したが、私以外にそれを感じる『現実』ではなく、『現実になりそうな予感、ただの私の神経質』というあやふやな物だと取り合ってもらえなかった。
まぁ、佛様とは着かず離れずみたいな人生送っていたから、知らん顔してても、うっすら軽く、知らせる何かがあったのでしょうね。
今考えれば普通の人からは感じなくても当然、その通り『佛様が観せてくれていた』のだと思います。
何度も何度も上司に訴えていても、イマジネーションや不思議を肯定する世界以外では、ただの煩いオバチャンには、観えていた映像から逃れ、その運命を止める事は難しいものだと思い知った。
またそれを親身に聞き入れなかった最初の上司は、残念なことに、直後ALSと言う難病になりあれよ、あれよ、と半年位で呆気なく亡くなった。
この方は後に判明した雪峰さんをお祀りしていた塚の石碑が埋められてしまっている処で、よく立ちションしてましたよ。
でも、それを思い出したから、もしやとその周辺をさがすと、埋められた名前の掘られた石碑を見つけてあげられました。
ですから感謝してます。安らかにご成佛ください。
また、他の同僚なども、次々と交通事故や、病気に見舞われ、バイト含めて30人近くいたと思いますが、完全無傷は私とほんの一摘まみでした。
そういう私も罪の重さに耐えられず、半分以上ノイローゼっぽかったから、ほぼ病人でしたけど。
それから、【観ない知らない気にしない】と不思議世界や佛様の世界から遠ざかって、一般人として溶け込もうとしていた自分の間違いに、大いに気付かされることになる。
やはり自責の念から現実逃避をしたくなり、【観ない知らない気にしない】チャンネルを少し
【先見していた事故を止められず人が亡くなった以上、このまま人生終わるまでボーッと生きていて善いのか?そうだ。佛道修行やりなおそう】
へと気持ちを切り替え戻すと、その瞬間まさに有り得ない数の、何だかわからないモノと、お稲荷さんだと名乗る大集団が一晩にして、私の自宅に居着いてしまう。
あまりの圧迫感に真夏でも窓を閉められない。
あまりに、大群なイメージが毎日同居しており、どうしたら帰って頂けるか毎日お願いする生活を送る。
めちゃくちゃ悩んだ。
今病院に行ったら即時入院かな?と思える圧迫感。
持ってるお経を片っ端から読み漁り、写経し、和室の改造をし、祭壇を設える。
白木と言う白木を全て朱塗りし、檜で、棚を造る。
たぶん、乗っ取られていたレベルで、色々な物が組上がっていく。
『今の私DIY森泉ちゃんじゃないの!』とか思った位、別人。(笑)
祭壇設え執念の凄まじさを体験しました。
ある日、朝勤行の時
『帰るなら❮霊狐塚❯へ連れていけば帰れるものも居る』
と言われ、検索でヒットする名だたる稲荷霊場を羅列すると、選ぶ声から豊川稲荷様へ、と言われお詣りに伺った。
初めて行く場所だが、もう足は別人。
スタスタと脚が進み、しっかりと霊狐塚にお導き頂きました。
塚に近づくに連れ、後ろからスゴい勢いで私を追い抜いて行く上半身だけの獣の大群が塚に、吸い込まれて行くように帰って行く。
何百も。何千かもしれない。無数に。
その風景は壮観でした。
お詣りをさせて頂き、帰ろうとするも、まだまだ大勢いらっしゃる。
なんだか少し優しい感じになっていたので、『このまま伏見稲荷さんへ行ったら帰れます?』
と尋ねてみると
『信貴へ行け』
と言われ、ずいぶん久しぶりに電話をかけてみた。
なぜ信貴山なのか、この時はわからなかったが、そののち、この意味は解けました。
この解答は割愛します。
またそのうちに。
いまとなっては、これが今回のすべての入口。
ようは信仰の強制送還であったのだ。
かなりの荒療治だが、この強制送還がなければ、今の私も居なければ、お稲荷様に偏見を持ったままの、ヤバイ群馬のオバチャンが出来上がっていたのだと思います。(今もヤバいかもね)
信貴山では、
『あんたこのまま帰れないでしょ。修行して帰りなさい。』
と約1週間程置いて頂いた。
3日間の短期間だが、断食したり、合掌行したり尼僧さんが、ずっと自坊に帰らず、本山に寝泊まりし面倒を見てくださった。
本当に感謝している。
これが高山別院吉祥院院主様の佐々木先生との出逢いであった。
群馬に帰る時も、スゴい体験があったが、これば後日別に書こうと思う。
またをお楽しみに。
戻ってから、真面目に読経、写経、瞑想、などを中心に、厚生労働相管轄の公の機関で行われるメンタルトレーナーや、心理相談員、衛生管理者(一種、工学)などの資格取得をしながら、壊れかけた自分の精神修養にはげむこととなる。
本当に人間として壊れそうな時は、神佛に祈るだけでなく、様々な人が効果が高いと言うトレーニングや、必要なら治療を併用すると、復帰が早いと思う。
先生方がよく言う、祈り、くすり、の一部であると思う。
まぁこれが、今考えれば護法さんの
『こいつ鍛えてやれ』
だったと思うと、本当に本人の自覚する以上の、期待をしていただいているのだと恐縮、感謝するしかない。
キタイシスギヤガナァ
アリガタヤ、アリガタヤ。
で、残ったお狐様代表の方と、今後についてのお話し合いを数日かけて、おこなった中で、
『私は○○で修行していたものだが、いつの間にか気付くと誰からも忘れ去られ、多くの悲しみの者等と共に、多くを呪い己を見失ったことを恥じている。いずれ元の山へと連れ帰って欲しい』
と言われ、真っ白でキラキラ輝く馬のように長ーい首の狐様のイメージを観せて頂けました。
めちゃ美しいお狐様ですよ。
これがもとで後日の比叡山詣りとなるのですが、駐車場に到着した途端に、吸い込まれるような睡魔で、倒れるように約6時間意識喪失。
やっとの思いで起き上がり参拝に出発。
ここでも勝手にサクサク歩いて、初めて行くのに、たどり着いた先が
【星峰稲荷大明神】
様で、深々とお辞儀を私の身体で満足そうにすると、かなりの数のお狐様が帰られ、だいぶかるくなりましたが、話し合いの代表していた狐様が、
『我は星峰様の弟子で、雪峰と申した、遠き高崎の地に祀られていたが捨て置かれ己を失っておった。しばらく、この礼として同行する』
と星峰様にお詫び叶った様子で、また憑いて帰ってきちゃいました(笑)
で、この時には気が付きませんでしたが、大弓様が憑いて帰ってきちゃったようで、私はだいぶの期間、知らなかったのですが、佐々木先生の前世療法の誘導で臨界しちゃって、くっついてるのバレて、追い出されそうになったファンタジーに繋がるのです。
まぁ、そうこうして、今は代表格の護法さんとして、私にアドバイスくれたり、修行と幸せを運んでくれていたり、でも、さすがに元が比叡山の護法さんだから、ご真言とか、天台読みに執着があるみたいで、よく真言読みしてると不服そうな時もあります。
だから、たまには金峯山寺の経本読んだりして天台dayを楽しんで頂いてました。
だから最近は、とても満足そうですヨ。
尊勝大明神様のお祀りしてから、雪ちゃん!お休み出来る日があるみたいで、たまに雪ちゃんの寝姿観じます(笑)
( *´艸`)プププ
もしかしたら雪ちゃんが願海様と一緒に、ご修行した狐様なんじゃないかと、私はコソーリ疑っています(笑)
こんなに願海様に御縁付くなんて、異事だと思いますから。