それ程高い山ではないが、一人山に登り、御供をし、お経をお唱えし、御下がりした食事を山の神様と共有し、半日ほどのんびり孤独を楽しむ。
誰も居ない山の中に入ると、人の雑多から離れ、神々の声が近くに感じられるようになる。
私にとって大切な時間だ。
私は今まで、ずっと孤独を楽しんで来れていたと思うのですが、先日、長年細く長くご指導頂いている先生ご提案の、修行が効験ありすぎちゃって(笑)
しかも事前に、そういう状態に落ち込む人が多い事を指導者の先生からお聞きしていたので、ひどい落ち込みと懺悔に明け暮れて、とどまることの無い自責の念にかられても、弱音吐けずちょっと、右往左往参ってしまいました(笑)
でもまだまだ出足りたわけではなさそうな、私の強欲と、傲慢、イヤな人間味。
これからもよろしくお願いいたします。
笑っちゃう。まさに未熟者。
ミイラ取りがミイラっていうか、庵からも何人も参加させて頂いていたので、まさかの私が一番打撃受けるとは!
やっちまったな。
誓約書提出しての参加だったので、自分で消化しなければならなかったのね。
人生どん底だった時とか、信頼していた人に悉く裏切られたり、傷付け傷付いた時の事などの猛襲で、正常な思考を保ててなかったと思います。
誰かに頼りたかった己の弱さが全面に出てしまいました。
過激に振り切るために、初挑戦のちょっと高い山にも行きましたが登頂出来ず、戻って自己嫌悪が増し(笑)
しかも他の登山者が沢山いらっしゃって、愚かな状態で登る私に、神々の声はまったくと言える程、届かなかった。
もしも他に誰も居なくても、こんな愚かな動機で登った私には、山神様は微笑まなかったのだろうと、山で育ち山と共にあったはずの自分に呆れる。
数日だけのご修行でここまで、心の膿を出せるとは素晴らしい手法なんだなと、感激しましたが、未熟者な私は八つ当たりみたいな因縁を大切な人に撒き散らしたと、今は別の猛省中。
でも、先日その指導者である先生のお寺に、久しぶりにお邪魔させて頂いて、お詣りさせて頂いたら結構スッキリしました。
まぁ今回の事は、あまりの自分の愚かさを知ることになり、十善戒のほぼ半分が、口の災いであることを今さらながらに恐ろしく思っています。
文章で書いてもそれはやはり言葉なのです。
自分で体験しないと解らないことが沢山あると思うので、ある意味、ダメな方の先輩には、今回、充分になれたような気がします。
私は孤独っていうか、もともとが、対面リーディングがメインの相談所で、トレーナーをしていましたので、妄想力、イマジネーション力は、ほぼ病人級なのだと思います。
病人とも大きく違わないその中で、お不動様への信仰、毘沙門天王様への信仰を捨てなかったことで、大きく道を間違わずに、最初の入口はお遊びなご相談者様も、20年以上のお付き合いで、やっと寺院へと結びつけて差し上げられました。
ここまで長かった。
今が私の集大成なのだと思います。
ずーっとずっと孤独を楽しみながら、道を踏み外してしまっていないか、しかし不安の中にも信念があり、【佛様の教えに一切の興味を持っていない人に佛縁をつけるいわゆる無信仰者の心の底上げをする、寺院の敷居が高いからあえて私は庵とし、オイルマジックやハーブマジックなど東洋西洋術も方便として扱う】と信じ、その中のひとつとして写経指導や、山登りしつつ、毘沙門天王様に拾得物として頂き今があります。
まだ一般には開放出来ておりませんが、私の庵は、どんなご相談でも承っています。
ただし、解決方法としては、私が何かをする訳ではなく、出来る訳もなく、私がその時、その人に最適最善と思う手法のご提案をさせて頂く。
叶えて行けるよう、一緒に考えさせて頂いております。
いつか、私を必要としてくださる方に繋がれる日を信じて、また一人孤独を楽しみたいと思います。
私の心の先生