私は人間を含め温かい動物が苦手です。
一番の大きな原因は最後に飼っていたポメラニアンぽい雑種犬が亡くなったことによる、ペットロスの嵐から立ち直れない母を見ていて飼えなくなりました。
そもそも未熟児で他の兄弟とは明らかに体のサイズが違い、廃棄されてしまうと言うので、反対されるだろうから親にも内緒のまま自分の部屋で飼い始めた。
数日でバレましたけどね。
バレてからは家族の一員となりました。
意外に反対されなかったことに拍子抜けした記憶があります。
中学生の時の出来事です。
私の母親は、鳥が大好きで飼っていたのですが、その犬の事も献身的に面倒を見ていました。
てんかん持ちの犬だったので、時折発作で身を固くしてのびてました。
何度も何度も皮膚癌を治療し、飼いはじめて8年目位にいよいよ、食べ物がとれず点滴入院させていた時の、私の母親の落胆ぶりは、見ていられませんでした。
その時ちょうど当時お世話になっていた寺院で、高野山、信貴山への参拝のバス旅行を申込みしていたの。
母親は犬が今すぐでも死んでしまいそうなのに行けない、と行くのをイヤがったけど、信貴山の空鉢様の一願成就の話を教えてもらい、『獣医の先生にお任せしているのだから犬の事、願いに行こう』と連れ出した。
各所でお詣りして、少し元気そうになったのでちょっとほっとしたのだった。
バス参拝から帰った翌日、入院させていた獣医さんから『昨日から元気にご飯食べはじめましたから帰れます』と電話を頂いた母の喜び方は本当に嬉しそうだった。
もちろんこの時の信貴山で大蛇を見て二人で空鉢様から、猛ダッシュでかけ降りた時の話に繋がるのですが、そこは今回は割愛しますね。
飼いはじめてから12年程した時に犬が子宮癌でオペには耐えられないだろうと、獣医さんから言われゆっくりお見とりすることになった。
そこから母親がみるみるペットロスで衰弱して行く。
あげくにお骨を先祖代々の墓に入れると言い出して、親戚と話し合いして騒ぎになるし、大反対されて落ち込むし、最終的に『自分のお棺に入れてくれ』で決着。
約10年以上骨壺を 身近に置いていた。
で、やっと15年位前に心境の変化があったと見えて、自ら庭の片隅に土に還してやれたようでした。
それで私はもう二度と、温かい動物は飼わない。と誓ったのです。
愛情のかけ方が不器用で想ったら、その想いを小出しにするとか、コントロールするとか私も出来ないタイプ。
だから大切と想ったモノが消えた時が怖いから、最初からなるべく近づかないようにしてるんだね。
温かい動物を何度も飼える人って、そういう事も乗り越えて行ける人。
私は乗り越えられずに逃げたままです。