昨日、今日と遠方滋賀県から、群馬県高崎市出身の大行満願海阿闍梨様、遺跡巡りの調査にお客様がお越しくださり、そのお伴をさせて頂きました。
調査にお見えになって下さいました先生は、
天台宗伝承 安樂律法流 宝林寺住職および
北嶺大大先達 延暦寺一山大興坊住職
茂松性典先生と言われる方で、見たことの無い肩書きに、恐縮通り越し、ビビってましたが、気さくな人柄と細やかな気遣いを頂き、終日楽しく、ご案内させて頂きました。
全ての奇跡を繋いで下さった全ての御縁に感謝しています。
こちらは最初の訪問寺院の東漸寺様にて。
茂松先生から、ブログへの記載等を快諾?推奨頂きましたので、何方からでも見られる記録として載せさせて頂きます。
願海様のご両親様のお墓、そのおとなりに供物台のみ置かれた、ご分骨の伝承のある場所にてご法楽。
まさかの奇跡のような時間に庵から、数人の同行の皆様も感激しておられました。
やっぱりお経お唱えするお声がよろしいですねー!同行していた友人も感動していました。
願海様に纏わる資料も沢山お授け頂きました。
頑張って学びます。
境稲荷でも数人の合流があり、しかも、掃除をしながら流動的な訪問に備えて、待っていた皆様も合わせ8人で、お宮内のお社の中で手の届く処や、その周囲も、埃払いし、石像のお眷族様は洗浄させて頂きました。
御霊箱の中のボロけた紙に包まれた砂を包み直し、総代様、および茂松先生のお許しを頂き、佛頂尊勝陀羅尼の紙札大森義成先生印施のものを、御霊箱に入れさせて頂きました。
また北嶺大大先達 延暦寺一山大興坊住職である 茂松性典先生が御霊箱を持たれ、時間をかけ、しっかりと拝み直してくださり、お社に戻させて頂きました。
不思議と悲しくないのに、涙が止まらない方や、嬉しい気持ちに包まれた方が複数いらした様子で、願海様も比叡山からのお客様に喜んで頂けたのではないかと、思います。
また、この際に溢れた耳掻き5杯分位の砂も、お許しを頂き、拙庵に頂戴して参りました。
拙庵の稲荷社の尊勝大明様御影とご一緒に、大切にお祀りさせて頂きます。
また、先日の調査でお越しくださいました金翅鳥院 住職 羽田守快先生、所蔵のお軸より興しました、願海様のお姿のパネル、尊勝大明神様のパネルを、拙庵より奉納させて頂きました。
また、すぐお近くの長光寺様では願海様のお師僧様の墓石に【吉見俊庵】との施主名?があり、これは尊勝大明神様のお姿の施印の名前である【吉見俊齋】との名前と一字違いであり、関連が推察されます。
今後の解明が楽しみですね。
この二日間、貴重な体験となりました。
本当に最初は群馬県出身のスゴイお坊様の遺跡を、残したい気持ちから始まり、どうもイタズラ好きな願海様のチョイと一扇ぎが、とんでもなくお力があり、不思議な功徳を沢山頂戴したようです。
アッと言う間に、当初の目標、『手水石を保存してくれそうな然るべき方に繋がるまでお手伝いさせて頂く』をクリア出来たようです。
素直で正直な心でお詣りされましたら、きっと皆様も霊験をハッキリとお感じになれることでしょう。
その際には、お供え物は少ししたら下げ、持ち帰りご自分で召し上がるなどして、尊勝大明神様と喜びを分かち合ってください。
よろしくお願いいたします。