山が見えている。
緑が豊かだが、形は男体山に似ている。
榛名富士みたいな感じとも言えるが、所謂御椀型の山だ。
山への入口には鳥居があり、村社に良くある石柱が立っている。
しばらく登ろうか、詣ろうか考えていると、ゾロゾロと子供たちが、わんさか降りてくる。
色取り取りのシャツとか、半ズボンとか、男の子が圧倒的に多いが女の子もチラホラ。
次から次へと降りてきて、きちんと整列して行く。面白いほど、しっかり整列する。
まるで軍隊か、兵馬俑が並ぶが如く、子供たちが整列して行く。
アッと言う間に数千の数が降りてきて整列している。
不思議に思った私は先頭を見に行くと、頭が人の3~4倍も縦に長い、お坊様?仙人?が護摩を焚いている。
とっさに、私は『この子供たちは生け贄だった子達だ』と思った。
それでお仕舞い。
我にかえり、山から降りてきて、護摩修行に、あんなにピッタリ整列してるなんて、子供のやることじゃない。
もしかしたら、山で神様の近くに召された修行者は、子供に戻って、天真爛漫にもう1度、修行をやり直せるチャンスを貰えるのかも知れないと思った。
だからと言って自ら肉体を投げ出せば、そのチャンスはないだろう。
一生懸命修行したにもかかわらず、失敗しちゃっても、神様佛様は見ていて下さると安心出来ました。
何事も失敗多き私に、安心へのヒントを下さる夢は、ボンクラな私への解説書みたいな物です。
生け贄と言えば、前世療法やったら、色々あったけど(笑)
『一番幸せだった前世に行きましょう』と言われ、全く想像もしてなかったのに、私の口から出た回答が『生け贄』だったことは、結構衝撃でした。
生け贄繋がりで見えたのか、日曜日、登山途中断念したからなのか、わからないけど今の私に必要なヒントなのだろうと思いました。
精進します。
図々しく煩悩の深き愚鈍な己を正すため、今週末は晴れていれば貸し切りの、ちょっと深い山に滝行に行こうと考えています。
まぁ、この時期ですから環境を抜きにすれば水遊びみたいな水温ですけど、水遊びじゃねーか。と小馬鹿にする方は、是非ご参加を。
今週末日曜日のは晴れならこちらで、募集しようかと思ってます。
もちろん自己責任持てる方以外は来てもお相手出来ません。
私が私らしく、生きるために。
清水寺様目録より転写。
生け贄前世の最後に会ったと思われる菩薩様の尊顔。