私は戦争や殺戮などの話を見聞きする事が苦手です。
あと他人を小ばかにして大騒ぎして笑いを取ろうとした嘲笑番組も苦手です。
その為ほとんどテレビを見ません。
まぁ私は元々が夜叉上がりみたいなモノだから、避けていないと障りがあるっていうか、例えばアルコール中毒の人がせっかくやめたのに、一口呑んだら再発する、みたいな感じでしょうか?
なので避けた生活をしているのだと言えます。
ある先生は『距離を持ち離れる事が大切』とおっしゃっていました。
確かにそうだな、と思いましたから、まぁ、自分の考えでも良いのだな、と思っていました。
ある時別の先生が僧侶や修行者をターゲットにした講習会で質問を受けていました。
生徒さんから『ロシアとウクライナの問題について先生はどう思われますか?プーチンさんは絶対地獄に行きますよね?』という感じの質問をされてました。
何人もの方が頷く中、その先生は
【争いの中に居る人にかまっているヒマは無いのです。気付けた私たちにはやらなければならない事があり、誰が地獄に行くか考えている時間は無駄です。修行出来る時間は短いのです】と言うような事をおっしゃっていた。
少し薄情に感じる人もいたかもしれない。
でも私にとっては模範解答でした。
争いの中に居る人は争いをやめなければならないと、自身で決めなければならない。
攻め込まれて防衛のため戦う気持ちはわかりますが、私はきっと戦いません。
家族が殺されてもそんな悠長な事が言えるのか?と聞かれれば答えは『わかりません』としか言えない。
ひとつ今言えることは夜叉に戻らない修行をしている。と言う事だけ。
ずるい言い方かもしれませんが、佛様に全てお預けした人生、攻め込まれるなら攻め込まれて経験しなければならない事があるからだと思うからです。
そんな事言っててもその場になれば先陣きって大太刀周りして、名を残す程の殺戮兵器と化すかもしれないけどね。元々が夜叉ですからねぇ。
生まれたからには死なねばならず。
老いて経験値をあげ、あちこちにガタを感じる経験が必要。
病を得るならその経験も必要。
大切に想う人と離れ逢う事叶わず。
苦手な人にも会わなければならない。
欲しいと願っても手に入れられず。
藻掻き苦しむ苦海の大海で佛の光明に気付かず、己の肉体と心の不遇を嘆く。
全て佛様のお計らいと気付けば四苦八苦は四苦七苦になり、何れは四苦をも越えるのでしょう。
【そんなヒマは無い】と断言してもらえた事で佛教を学ぶ上では、やはり因果論を蔑ろにして学ぶ事は出来ず、前世での行いは今世に直結。
今世の行いは輪廻転生の永久なる旅をどの様に変えてゆくかを決める【十差路】にあると再認識しましたよ。
ボンクラ駆け出し行者の私は十差路で道に迷い、三悪道に迷い込む時のために破地獄経にしがみついている愚民な訳ですから、佛様も善きご配慮をくださる。
そういうヒントを日常に散りばめて下さいますから、見逃さないよう精進せねば、と思えるのですね〜。
毘沙門天のおっちゃん、餓鬼の親玉、夜叉大将から戦神、戦神から円満神となった方のお足元で修行させて頂いていますから、善き先生に恵まれた御縁です。
一緒に修行させてもらえて感激してますよ〜