私は小さい時から、ちょっとひねくれていた子供だったと思う。
【極楽浄土.天国は佛様の国でみんなが幸せにくらしている。悪人は地獄に落ちているから極楽浄土には悪人はいない。だから極楽浄土に行けるように良い人でいなければならないね】
と聴いて、真っ先に思ったことは、
〖地獄に落ちて苦しむ人が居ることを知っているのに、極楽とやらの住人は幸せいっぱいでいられる人じゃないと行けないってこと?もし苦しむ人が居ることを知った瞬間からそこも地獄なのでは?〗
と思った。
正直今でも、ほぼそう思ったまま成長した。
だから、お不動様や毘沙門天王様は私を鍛えてくださってるんだろうな。とも思う。
天国を目指す人の気持ちってどんなんだろう?
私は極楽、天国ってのにほぼ興味がない。
既に水を自由に使える日本に生まれ落ちたことで、ここが既に天国、極楽の一部なんじゃないかとも思っている。自由に風呂に入れて、いつでも真水で手を浄められ、佛様との距離も近い。
だからお不動様の話を聞けないヤンチャがいても、五月蝿いオバチャンにきりきり舞いして、奇跡が起きて地獄の業火から抜けられる人もいるかも知れない。
最後の一人が抜けるまで、とは思ってないけど、あらかたの人が地獄からオサラバ出来るとこまで、私もお手伝いさせて頂きたいと思っている。
人を切り刻む鬼さん達はそろそろ引退した方が善い。
そんなこと言ってる私が一番業火に焼かれ、切り刻まれたり、凍ったりしてるかもしれない。
でも天国ってところは、地獄で苦しむ人を知らんぷりする人が行くとこなのか?
全部を極楽浄土にしない限り、地獄が何処かに存在する限り、天国とやらで幸せを感じることは、できるのだろうか?
誰も苦しまないのが善いと思う。
それを考えると悩み尽きず。