私の心は、それほど強く無いのだろう。
だから、悲しいニュースや、いたたまれないニュース、そういったものを繰り返し見ていると、心に大小の穴が空き、スカスカになって、悲しみの中に一緒に落ち込んで行ってしまう。
だからほとんどテレビや、ラジオは必要無い。
ほんの少しニュースを読む程度でちょうど善い。
また、暴力的な表現が多く、ドラマや映画もあまり見ない。
昔はジェームススペイダーとか、ジョニーデップとか好きだったけど、作り物とわかっていようと、罵る言葉や殺戮の様子を見ていられない。
別に苦しくなったりするわけじゃないけど、❮なれ❯てしまうことを避けたいのだ。
人間とは弱い生き物だから、自分が染まっても気が付くのは、染まりきったあと。
やはり近くにいると、飛沫は多かれ少なかれ浴びるものである。
だから、心を穏やかに過ごしたいなら、心穏やかに過ごしている中にいなければならない。
だから自分が人生の修行をしている、素直で正直に生きているなら、暴力的な事にたえるようなバリアーがある意味とても薄いのだと思うよ。
嘘をつかず、欺かず、騙さず居るものは、イライラした人からは遠ざからなければならない。
例えば、酔っぱらい、大声で怒鳴っている人の隣に座ったままいるなら、アルコール臭い息がかかるだろう。
たまには剣幕膨大に声を張り上げた時には、唾液も飛んでくる覚悟も必要だ。
大きな声で耳のそばで、不快感を得るかもしれない。
時には手を掴まれるかもしれない。
ひょっとすると、思い余って戻したら、ゲロシブキがかかってしまうかもしれない。
そういったものを覚悟し、隣に座り続ける事か私には出来ないと言うだけ。
どんな理不尽で納得がしにくい事であっても、自分まで怒ってはならない。
私も気を付けなければならないのは、元来が夜叉のような処から這い上がって来た改心組だから、ちょっとブラッキーな発言も多い。
ソモソモが染まっていたのだから、いくらきれいにしようと、努力を続けようと、近付けば染まりやすいかもしれないから、文句ばかりが日常となっている処には、近付かない。
どんな悪人が相手だとしても、人の悪口や文句は、例え文字であっても読みたくない。
大切な真言を唱える口で、悪口を唱えては佛様に申し訳が立たない。
大切なお経を書くペンで悪口を書いてはならない。
佛様に合わせる手で、悪口を打ち込むのは佛様が悲しむ。
私はそう思って、日々小さな幸せを重ねて行けるよう、修行としています。