白蓮庵のブログ

群馬大好きおババ 七合目の行者悠眞 白蛇くぅチャン♪るぅチャン♪とのラブリーな生活や大自然との共生、お詣り報告やファンタジーワールドIF愉快な仲間たちとの修行体験記。ほぼ雑談。いや、ほぼ食べ物の話かも。

いそぎすぎ。

決まり切った話で申し訳ないが、人間は太古の昔より太陽と共に始まり、太陽と共に翌日への鋭気を養う休養へと、躰と脳と心を休めた。

 

しかし、画期的な電気の発明によって、太陽と共におくる生活は、意識的に行わないと出来ない贅沢へと変わってしまった。

 

もちろん電気の発明を否定する気持ちも無いし、私だって今の生活の恩恵をたくさん受けて生きている。

 

ただ何萬年も、それ以上もの期間、人生の半分を寝ていた時代が長かったのに、急激に❮寝ないで働く❯昼間の延長された夜間を、昼間の如く生きるようになった。

 

何もかもが、便利で効率化を考え、余分な機能や、余分な時間は削ぎ落とされた。

 

余韻や、間合いは割愛されまくっているのだ。

 

近頃いつも思うことは、待てなくなったと言う事。

 

私が小学生の頃は、文通などが流行っていた。

雑誌の最後の方には『ペンフレンド募集』なんてコーナーがあった。

今考えれば個人情報丸出しの、恐ろしいシステムだったかもしれない。

 

相手からの手紙を、日々の生活を送りながらボンヤリ待つ。

 

月に二往復していた手紙が、届かない時は、相手の状況が換わってしまったのか、何かあったのか、ボンヤリノンビリ待っていられた。

 

電話も黒電話がプッシュになって、ダイヤルからの戻り時間が無くなった。

ポケベルが出た辺りから、当日内の返事が当然になったよね。

 

携帯電話が出た頃は、圏外が多くて値段も高かったから、持てる人は限られたけど数時間に短縮された(笑)

 

携帯が汎用化され、メールが行き交う。

LINEが始まった時には私は大抵抗した。

でも、確かに便利。

便利過ぎる不自由のない不自由。

 

先日『LINEの返事が無いので私、嫌われたのでしょうか?』と言う相談があった。

そうでもない結果であったことから、いつからか聞いてみたら、昨日からだと言う。

 

ただ読んで返事する間も無く別の作業をして、失念することもあるだろうに、そういう自由は無いようだ(笑)

忘れられたら忘れられたで、それもイヤみたいね。再度自分から送ってみる行動は、絶滅したらしい。

 

私なんて図々しいオバチャンだから、拒絶されようが、否定されようが、私に必要だと信じられるなら、遠慮なんてしないね。

迷惑だと相手を気遣い、お互い遠慮してたら学べるはずもなく。

 

私はよく〖あきっぽい〗と表現されることがある。

私に言わせればそれは、〖私には不要〗と感じたか〖あきるような内容〗だっただけ。

現に自分に合うと思う教えには、長く御縁を持ったまま。

一時的に離れたように見えても、本物の御縁は簡単には切れないでしょ?

第一に私の人生の数年なんて、佛様にとっては一呼吸にもならないのかもしれない短時間♪

一時客観的に距離を保ち、学ばなければならない事も、時も、あると言うこと。

 

近すぎては見えないものがある。

葉を見て山を見ず。

 

 

寛容な心で待つ楽しみを持ちたいものだ。

忙しいってのは、❮心❯を❮亡くす❯と言う事です。

 

太陽と共には、難しくとも、たまの休日くらいは太陽と共に就寝するのも善いかもしれない。

 

ちょっとゆっくりしようよ。


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