私は庵に集う皆様に善くも悪くも、頑なすぎる思いは思い残しとなり、因となる。
と教えている。
どんな想いも、なるべく真ん中であることを勧めている。
自分の気持ちの真ん中。
他人からは振りきれているように見えようが、止まっているように見えようが関係ない。
己れの真ん中を歩く事をオススメしている。
そういう意味ではずっと私は真ん中で歩いている。
そう見えないとするなら、ほぼ誤解か勘違いである。
私の道は真ん中だ。
もちろん❮正道❯だと言いたい訳ではない。
私は善い意味で【善い加減】と【適し当たっている適当】を推奨しています。
端っこだと、体重制限で崩れ落ちるだろうね。
私はかなり重量オーバーです♡
他人から見た私は関係ない。
私は私から見た自分であるか、お不動様、毘沙門天王様から見て真ん中であるよう居るだけ。
まぁ、そう言ってても私も人間。間違ったり失敗することもおおいにあるが、、、
ハッキリ言うなら人間にどう思われようと関係無い。
合言葉は、、、
【佛様が見てれば充分、人間は欠落してるから人間で、間違うのが当たり前のもの】
私は毘沙門天王様達が知ってれば、他人がどう思ってようが、どうでも善い。
誤解があり残念と思うこともあるけど、そこまでなら、そういう御縁と思うことにしている。
私の心はお不動様と毘沙門天王様に占領されてます。