拙庵の毘沙門天王様は、3体いらっしゃる。
1体は先日の【毘沙門天王御出現大祭】で師僧の田中眞瑞先生からお授け頂いた、毘沙門ファミリーの三尊像(毘沙門天王様、吉祥天女、膳膩師童子)である。
★とても穏やかでありながら、とても芯の強い忍辱の心と、優しさを学ぶ心をサポートしてくれる毘沙門天王様な感じがいたします。
もう1体は掛軸で、同じ時に師僧からお授け頂きました。
同じく毘沙門天王様ファミリーですが、どうもこちらの三尊が胆のようです。
★願い事など、受け止めご一緒に修行してくださるようで、吉祥天女様も美しいだけじゃない気魄を感じます。強い信念と躍動感。拝んでいると善く目玉が、こちらを観てますよ(笑)
次にご紹介する毘沙門天王様は、単身で私が求め、とある先生が群馬の名所巡りにいらした際にお立ち寄り頂いた際に、『開眼せず拝むより』と御開眼くださいました。
そろそろ10年位になりますか?もっとかな?
この7月に師僧開眼の毘沙門天王様が来るまではオールマイティーに頑張ってくれていましたが、それまで聖観音様とお地蔵様だけだった供養段に自ら『そちらにせぃ』と移動のご希望を頂き、なぜかお不動様も一緒にと心に伝わり、聖観音様、お不動様、単身毘沙門天王様三体と、お地蔵様、お大師様、十三佛様で二段構えでの供養段を、御守り頂く事になりました。
すると、それまでとは打って代わり、
★どんな小さな魂も、どんな後ろ向きの魂も見逃さない誓願でもありそうな、供養色の強い毘沙門天王様に変化されたのでした。
善く善く変化されたのは、御開眼くださった先生は、ご供養の最高峰と思うほど、常にご供養のことばかり考えている方だから。
確かに28年位前の最初の出会いの段階から、ご供養の大事さについての熱弁も、ハッキリ憶えてますから、これが本来なのでしょうけれど、私は法螺貝も捨て護摩も二度と焚くことは無いだろう。と聞いた時はかなりショックだった。
修験スタイルも似合ってましたし、護摩でのお取り次ぎも、スゴかったと思いますけど、、、
でもそれだけ色々な経験を積んだ上での、結論がご供養一本、と決められたなら、それが御縁であったのでしょう。
でも、同じ毘沙門天王様のお像同士だからこそ、開眼した先生の性格をお像が受け継いで行くのがハッキリ顕著にわかる、特種な例だと思いますし、なかなか出来ない経験をさせて頂けたと感謝しています。