私は今まで一方的に『ご奉仕させて頂けることがありがたい』側だけの一般信者だった。
それが、たまには受けとる事もある側になってみて、初めてわかったことがある。
それは頂戴する方としては【過分にして頂けちゃうと恐縮するものなんだな】と思いました。
でも、それは提供してくださる方の【気持ちの現れ】であると、そりゃ過分ですよ~。と思っても素直に受けとるようにしてます。
私は庵で学ぶ方々に
『出来る人は行い、出来ないものはやらない。出来ないのに背伸びして無理しない。自分の出来る事を無理無くやる。無理してイヤイヤしたって佛様は喜ばないから。』
これで良いのだと、教えてもいます。
また、やれるのにやらないのと、やれないから出来ない縁も違う、と教えているから、出来る人には遠慮無くご奉仕して頂きます。
でも出来なかった人も出来る時が来た時には、その本人や当場所にじゃなくて良いから、何処かに御返しをする。
私はよく遠方に嫁に行き、なかなか来れなくなった方の問い合わせには、
『この御礼はどうしたら善いですか?』と聞かれると❮何処かの募金箱か賽銭箱にでも入れといて❯とお返事をします。
それが巡りめぐって佛様チームの一員だと思うからです。
それがある意味、回向ということでしょう。
巡り巡って届く想い。
だから、もちろんその神社仏閣に直接、またはその相手に直接御返し出来るのが宜しいが、何が事情があり直接御返し出来なくても、いずれ巡り巡ってその人に必ず恩返しが届くと信じて、出来る事を出来るように続けて行こうと思ってます。
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