私の大切な約30年の歴史の一部がこれ。
もちろん普段使うものはこの中には入ってない。
ずっと師僧不在で、その時の御縁に 身を任せて血迷うと、こんな風に訳のわからない人になる悪い見本。
読めば学べる物でも無し。
その中でも、私はこの約30年守り続けてきた信念がある。
それは、少なくとも、こ真言に関しては必ず【僧侶】または【尼僧】の方から『お授け』形式をお頼みして、先に読んでいただき私が読み始めるか、『読みなさい』と許可を頂いたものを読む、私なりの【儀式】を大切にしてきた。
もちろん、それには多くのお坊様や尼僧様の協力があって、そうしてこれた。
初めて出会うご真言などは、眼で追うことはあっても、声に出すのは誰かに必ず先読みして頂く、または書いて頂く儀式をしてきた。
もちろんお経も、寺院の中で販売している物以外は、どなたかに○○○経を読みたいが、私程度が読んでも善いものか、相談しながら進んできた。
だから、まだ読んでいない経本もここには、あります。
で、信貴山千手院の田中先生に拾って頂くことに繋がったのは、真言宗には珍しい?法華経28品の読誦が、今考えると繋げてくれたのかとも思います。
お世話になっている別院の尼僧様に、28品読んでみたい件を相談した処、法華経が大好きらしくて、そこからあれよあれよと、最終的に繋がったのですね。
ま、最近は法華経では観音経くらいしか読めてませんけど。
他に長ーーーいお経毎日読んでますので、他が残念な位、読めていない自分にガッカリしてます。言い訳ばかりです。
だからこれは私にとって、大切な歴史であり、これからの課題でもあるのです。