元々、❮ある❯を知るから❮ない❯とさみしい。
❮ない❯ならはじめから、❮ない❯方が幸せなのでしょうか?
そういう事もあるかと思います。
でも、あるも、ないも、どちらも、どちらなりに、幸せもあり、悲しみもありなのかと、つくづく今回の妙義山登山で思い知りました。
あんな険しい山道、登ったこと無くてね。
大変なお山で、死の恐怖すら感じる箇所が何度もあり、久しぶりに【心の奥底、心の芯から本気のご真言】をお唱えしました。
普段だって心を込めて唱えてますよ。
でも、人は極限の状態での本性顕な時には、真髄からの真言、マコトバとなって顕れる。
あー、普段、心込めて唱えてるつもりでいても、上っ面で唱えてるんだな、、、と反省しました。
この経験が出来て良かったです。
この経験が❮ある❯人生と❮ない❯人生は大きく違うと、私は思うのです。
私達が登ったコースは、確かに妙義山としては初心者コースだったかも知れませんが、他のどの山にも無い過酷な行場です。
山岳信仰のある方なら、ぜひお登りください。
伝説にある日光坊様や、法性坊様が他のお山から鞍替え?して、妙義山で修行したくなる気持ち解るかもしれません。
いやいや、霊山中の霊山ですよ。
ある意味山岳信仰エリートの行場ですね。
妙義修験が絶えちゃってるのは、人間のまま登るのが厳し過ぎるからなのではないかと思う程、危険です。(私が小さい頃40年位前までは白装束で火渡りするお祭りあったようです)
一口にいうなら、『山岳信仰のエリートが楽しめる行場』なのでしょうね。
普段歩きもしないオバチャン達が登ってきちゃって、お天狗様たちも笑っちゃってたでしょうね。
私は落ちこぼれなので、しばらく妙義山なら裏側で遊ばせて頂く位が、ちょうど良さそうです。
無理してエリートつくる進学校に行く必要は無い。
無理してついていこうとしたって、ついてけないなら、更に落ちこぼれるだけ。
自分は自分の身の丈にあった場所で、身の丈にあった学びを進めるだけ。
背伸びしたって、いつまでも続きはしない。
御縁を大切に考えればこそです。
今は全身が痛くて、しゃがむ度に大腿四頭筋が、本気の存在感アピールしてくれて、心の奥底から【体が悲鳴をあげるとはコレ】を体験していますが、得るものが圧倒的に大きかったです。
この体験はとても大切でした。