私の言うこれは、戦争や犯罪に限った話ではない。
強いて言うなら、一番身近な家庭だって、そうです。
平和が一番尊い。
お客様や、友達には気を使えるけど、親しければ親しいほど、言葉はキツくなる自分を反省しています。
それなのに、人であっても、人でなくとも、怒っているモノを見たり聞いたりするだけで、私は悲しくなる。
例えば忠実な番犬であっても、私が聞こえる処で吠え続けていれば悲しくなる。
もちろん、人の歪み合いも、誰かの愚痴であっても、聞こえれば悲しくなる。
例え地球の裏側の遠い国の話でも、今は瞬時に見聞きすることが出来る幸せと、不幸せ。
確かに戦争には絶対的に大反対である。
知ろうとしない罪を背負うかも知れないが、出来るなら見聞きすらしたくない。
私の心は戦争の話や、残虐な言葉に耐えられる心ではない。
打たれたら打ち返すからテニスは続く。
打たれても、先が生クリームのケーキであるなら、打ち返ってくることはない、吸収である。
もう二度と同じ球が打たれる事はない。
私は今の時期、テレビすら見たくない。
ニュースを最低限読むに留める。
強い心の持ち主は、何を聞いても、何を見ても平気なのかもしれない。
でも、読んだり、見たり、聞いたりしただけでも、心を痛める人が居ることを、誰もが知って暮らせるなら、それ、そこが既に浄土となろう、と、思います。
自分の心を守ることを大切にしたいと思います。
信貴山の毘沙門天王様ファミリーは家庭の平和を護ることをはじめ、昔、夜叉の大将と言うヤンチャ加減だったからこそ、今は平和と安寧を護ってくださる佛様です。
心がクスミそうな時は、毘沙門天王様のご真言をファミリーセットでお唱えすると、宜しくやってくれます。
『おん べいしらまんだや そわか』
『おん まかしりやえい そわか』
『おん ぜんにしえい そわか』