私は今までの人生、ずーっと
【出る杭が打たれるなら、出過ぎる杭になろう!なんなら抜けたって構わない、打たれる位なら抜けて逆に先に打ってしまえ】
と、かかぁ天下の上州女らしく、自分の欲求に素直で正直、意地と根性の悪さだけで、生きてきたような処があります。
しかし、人に教えて頂きたいと思って、本人的には謙虚と奥ゆかしさを目標に、注意をしているつもりでも、やはりもとの性格はなかなか、簡単には変えられず、
❮我先に主張し続け奪い取る❯
みたいな夜叉気質が滲み出てしまい、簡単に他者の気分を害させてしまうということなのだと思います。
この染色紙を、ある処の茶室で見たときに、私に足りない何かを、教えてもらったような気がしました。
私のお師僧様は物静かで口数が少ない方ですが、書がお好きで、よく書かれているようです。
そしてこの文字の意味を知った時に、私に足りない処を、そっと授けてくださったような気が致しました。
圓融
えんにゅう
溜め息が出ます。
でも、夜叉も改心して毘沙門天王様にお仕えしたり、悪を知るからこその手札を斬れたりすることもある。
今、女性は越える事が難しいと言われる、偉大なお経のご修行をさせて頂いている。
『その業が出ているのですよ。そのお経は、そういうものです。業を出すためのお経でしょ。それを授けてくださった尊い方が、それに気付かないはずはありません。』
と、その授けてくださった方の御弟子様がおっしゃっていました。
言われてみれば確かにそうだ。
私のような初心の小者は、偉大なお経を読ませて頂けるだけで奇跡だし、翻弄されてワチャワチャしてしまうこと位、想定の範囲内なのでしょうね。
でなければ、そもそもお授けくださるハズがない。
そりゃそーだ。
私は時ある限り、これからも与えて頂けた修行を喜んで、楽しく学ばせて頂きます。
とりあえず300/1000は越えました。
200を越えてからの100は本当にツラかったです。
吸われて何度も倒れるし、見放されるほどワチャワチャ不平不満ぶつけるし、最低な自分を思い知りました。
私の器の未熟は否めませんが、それも恐らく偉大な方ですから、想定の範囲内なんでしょうね。
孫悟空の釈迦の手の平のお話しみたいなモノですね。きっと。
でも、本当に尊い経験をさせて頂けて、感謝しかありません。
つぎの100は楽しいと善いなぁ(≡゚∀゚≡)
で、結局孫悟空は手の平の上から出られませんでしたよね?