私は先日戒律の研修に伺ってから真剣に、現在の生活の中において、十善戒は守れていると思い込んでいたが、一切守れていないんだろうなぁ、とミツロウ作りがショック過ぎて考え込んでいる。
昨日は❮不殺生戒❯について考えたから、今日は❮不偸盗戒❯について考えてみている。
これ、最近まで大きく勘違いしてたの。
『人の物盗んだりしないから楽勝クリア』みたいにスルーしていた。
そうじゃない。
【授かってもいない法を得ることも不偸盗戒に抵触する】
えぇぇっ?
情報垂れ流し時代に生きる私たちは、盗もうと思わなくとも、ちょっと検索バーに数文字入れれば、なかなかどうよ?
出てくる出てくる。
ま、書いてくださっている方が、しっかりした方で責任力のある方なら善きお授けと、ありがたく御縁に感謝することもあるが、拙庵のお客様でも『ネットに書いてあった~』とか『拾ってきた~』と良く耳にする。
これだな。
今の一番ヤバイ不偸盗戒。
これ、落とし穴。
どうして私が強くそう思うかと言うと、二つ話がある。
まず、一つ目。
意外かもしれないが私の護法さんだか守護神様だか、私の指導霊さん?私本人じゃないけど、本当に私が不味いことしようとした時に私にストップかけたりしてくれてる奇跡を起こす❮何か❯は結構手厳しいのかもしれない。
だから私は今まで誰に教わる訳でなくも、それそうとは知らずに『お経や真言はお坊様や尼僧様に授けてもらったり、読み方を教えてもらったり、書いてもらったもの以外は、基本的に読んではならない、本山や寺院で売られている経本は、その寺院で授けてくれているからお授けと同じ』と信じている。
学びの補足として購入したものなどは自行の一部として目は通す事もあるが、基本的には読経しない。
これは拙庵で学ぶ方にもお伝えしているが、真面目な数人以外は理解せず『ネットに書いてあった~』とお気楽だ(笑)
これは知らず知らずだが約30年続けている私なりのルールの一部、遠く間違っていなかったなら、護ってくださる皆様が結構やり手だと言うことなんだと思います。
今回の研修の不偸盗戒の説明でマイルールに近いお話があった事で、更に護法さんやら皆様に愛情が沸きました(笑)
で、二つ目のお話はね、授かってない人が勝手に拾ってくるのは当然ながら、授かってない人から授かっても、授かってないのと同じルールがあるとしたら、理解出来る話があります。
本人たちはそれぞれ真面目だし、基本的に良い人達だと思います。
よく人助けもするし、良心的に物事を考える人達。
だけど、どんどん暗い雲の中にいるようなエネルギーに包まれていく。
渦巻くような重たい空気がまとわりついている。
どうしてなのかを考えたときに❮授かってない人から授かっても、授かってないのと同じ❯なるほど納得。やればやるほど罪になる、深ければ深い程、課せられる物がある。
そういう事か、と考えたときに佛様の学びは責任者っていうか、師僧はもちろんながらに、先生や先輩は本当に大切な存在だと改めて感謝をするばかりです。
肉体を持って生きてる先生も、肉体を持ってない天部の先生方も、その他の護法さんやらいろんな先生先輩の御縁で生かされていると感謝してます。
不偸盗、物に限らず。これ大事。
明日は不邪淫について考えたいと思います。