よく三猿の、【見猿 聞か猿 言わ猿】を見かけたり聞いたりしますが、本当は五猿なんだよ。と、真顔でおっしゃられた方がおられまして、思い出しては微笑ましいと思ってます。
五猿の内容は従来の3つに加え、【見猿 聞か猿 言わ猿 思わ猿 そうでご猿】なんですって。
これ聞いたときは笑っていたけど、よくよく考えると、なるほど~納得です。
結局見ないふりしようが、聞こえなかったことにしようが、言わないでいようが、承認欲求の強い相手には、己の考えなど、思わずそうだそうだ!とイエスマンであれ、もういっそイエスマンのフリしとけ。と現代を生き抜く智慧を授けているのだなぁ、と関心しました。
これ日常生活でなら私もそうする(笑)
でも佛様のことについては納得出来ない事は納得したフリするのは、私には出来ませんがなぁ。
信じたものを信じて日々精進です。
どちらの意味でも思い込みが一番怖いと思います。
以前に、桃太郎の別バージョンの話を書きましたが、その話の感想をこのように下さった方がいました。
前のお話→ https://byakuren-an.hatenablog.com/entry/2023/03/05/003159
『お父さんが悪者だと知らなかった鬼の子供からしてみれば、桃太郎は強盗ってことですね』
確かにそう言うこともあると思います。
しかし、ここで本当に気が付かなければならないのは、その鬼ヶ島は本当に悪い鬼の島だったか?と言う事なのです。
似通っている島が複数あったとしたら?
桃太郎はいきなり初めてたどり着いた島で、いきなり鬼退治をします。
自分とは異なる姿の者達が酒を呑んで楽しく集っている所を見て、今までの悪事は全て小奴らのせいよ、成敗してくれる。エイヤー。
鬼ヶ島らしき島が、周辺に点在していたとしたら?
隣の島が実際悪者のいる島で、乗り込まれた島の鬼たちは島から出た事すら無かったかもしれない。
証拠もろくに無かったろうし、DNA鑑定もなければ曖昧そのもの。
桃太郎の話ひとつ見たって人間の愚かしさや、はかりしれない凡夫の過ちが見て取れる。
本当にそれが正しかったかと言うことは、凡人の私達には理解出来ない事なのです。
だから佛様にお任せして、日々精進し佛様の視線で見て間違っていれば修整して頂き、懺悔と精進を繰り返し生きなければ見えるものも見えなくなりましょう。