私は疑問に感じている。
それはどんなに立派と言われる先生が説いてくださっても、❮不邪淫❯についての解説だけは数秒なのはどうしてなの?
私の疑問を払拭してくださった方が今まで皆無であることから、ずっと謎のまま、こういう今も『その解釈はなんで?どうして?いつから?それまでは?なぜ?なぜ?なぜ?』とエンドレスループに陥る不邪淫戒について真剣に考えている。
一般的な先生方の法話では❮不邪淫=不倫❯と説かれている事が多いかと思う。
それで終了、ソッコーで不妄語の説明へとワープ。
それは現代の日本で説くから、と言う以外の理由があるなら教えて欲しい。
少し前の昭和初期の書物などで説かれる❮不邪=正妻以外との秘め事❯とあるものもある。
日本には大奥があり吉原があった。
中国は多妻制度があった。
インドも多妻制度があった。
ヒンズー教の神々も、道教の神々も、日本の神々もなかなか多妻制度を利用しているものが多いかと思う。
神様は不邪淫戒は特例措置?
正妻と第二夫人、第三夫人はオッケー?
正妻と妾1、妾2、お手付きは邪淫?
これは邪淫?全部妻にして面倒みてるならオッケー?妾待遇なら邪淫?
それは殿方からの目線での話でしょう。
不邪淫戒は殿方だけに作られた戒律?
そんなことないよね。
私は常日頃、恋愛や家庭問題の相談を扱う事が多い。
素直で正直に生きなければ神佛の加護をエラレナイと言うならば、、、
『旦那の事が嫌いで別れたいけど生活のために抱かれるの、ツライ』
これ、愛情の無い性交渉は邪淫じゃないの?
『旦那のことはもうATMとしか思ってない、一応求められればヤラないわけに行きませんけと吐き気がしますよ』
これ、売春じゃないの?
『旦那も何人も愛人作ってるから私もね』
そうか、不倫は邪淫と説かれるなら、これは邪淫か。不邪淫戒はこのパターンだけなの?
キリスト教じゃないけど、愛してない性交渉の方がよほど邪淫だと思う。
ああ、妻以外抱くのもダメだったっけ?
生きていくために仕方なくそうしなければならないとか、事情もあるかもしれない。
でも本当に不邪淫は不倫と説いているだけで正解なの?
①好きでもない男に身体を委ねて心を砕く、それこそ邪淫とまず思う。(男女の別にこだわる必要は感じない、広く積極的に言うならパートナーと言う意味、肉体を委ねる相手と言う意味)
②実際に交渉するかしないかより、人間的にダメな性欲の方が問題じゃないのか?(例えば身体の未成熟な幼少の者に発情するとか、昔で言う小姓飼みたいな制度を想するなど)
③獣姦などの類い(を想するなど)
④死姦などの類い(を想するなど)
⑤貞操戒律を遵守する修行僧や、修行尼、修道女など人の戒の妨げをするもの
⑥同意されない交渉(強姦などの類い)
⑦戦争被害などの見せしめでの交渉
私はこのようなものが不邪淫戒だと考えている。
確かに不倫は心を砕き悲しみを与えることが多い。
しかし、広く見たら私には疑問が残ります。
理由は簡単。
【人として生まれし者、人とあれ】
住む世界が違っても、話す言葉が違っても、目の色肌の色が違えども共通することが【人としてダメなこと、大丈夫なこと】の基準が神様、佛様が決めた、人としての最低限の戒だと思うのです。
例えば罪の無い人を殺す、理由無いのに人の物を盗む、親を蔑ろにする、、、などは世界各地ほぼ共通なダメなこと。
じゃ、二人好きになることは?一夫多妻制度の国もあれば一妻多夫の国もある。
これ、共通じゃないでしょ?
中東の国だってお金持ちは奥様いっぱい、アフリカの国では旦那がいっぱい、インドだって妾制度がまだまだあるよね、日本だって徳川大奥はそれこそ日本中の美少女が集められていたし、昭和33年まで赤線があったわけ。
今の時代の日本だから一対一原則。
私は不倫を肯定しようと思うのでもなければ賛成派ではない。
しかし、真剣に戒律のことを考えているのに❮不邪淫=不倫❯で片付けられると、納得行かない。
不倫より不邪淫ととらえなければならない非人道的な行いを言わずして、表面に浮き上がったところだけで濁されては、他との釣り合いが悪い。
他の戒律だけは、思っても見なかった、考えても見なかった、まったく想像も出来なかったことが戒に、法に触れると説くなら、この戒にもしっかり向き合って、謎のままにしない学びを与えて欲しい。
お坊様だって妻帯している、弟子に修行の一環だと称して性交渉する、愛人囲ってやりたい放題、檀家の奥さんと本堂でファイターして見つかっちゃうなんて人いっぱいいるんだから、濁さずちゃんと向き合って頂きたい。
奥ゆかしいだけの尼さんもいるけど、私は恐れず疑問だらけなことは質問したいです。
私大きく間違ってますか?
拙庵は三猿ならぬ三チンパだけど、私の性格的な問題で、三チンパの反対で❮見る聞く言う❯が私かもしれない。