私の処のお客様は99%女性です。
今まで約30年様々なご相談を伺う機会がありました。
もちろん1回こっきりで来なくなる人もいれば、いまだに約30年近くきていらっしゃる方もいる。
その中でも、❮あーあの娘どうしたかな❯とか❮その後どうしたかな❯と思いおこすお客様がいます。
もちろん私に会いに来なくなったと言うことは、それなりに順調な人生を送っているか、その逆すぎるか、別に波長の合う先生に巡り合えたか?と言うことなんだと思います。
私が近頃どうしてるか気になっているお客様は、若くして子供を産んだけど、重い障害を持って娘さんが産まれたとのことで、産んで退院と同時に子供を施設に預け、既に何年も一度も会ったことがないし、この先も逢いに行くつもりは無いと言っていた。
今も生死の別もわからないと言うことを、おっしゃっていた。
あの娘は娘に会っただろうか?
娘はあの後、母に抱いてもらえただろうか?
顔を見合わせて微笑む事が叶っただろうか?
何年経っても忘れる事の出来ない相談だよね。
もうひとつは大きく成長した6ヶ月だったり、7ヶ月だか、8ヶ月の時に死産を選択したお客様。
しかもこれは複数の女性で、何度か聞くことのある話であった。
その選択をした母親一人一人に理由はあったのだろうが、一度も暖かい母に抱かれる事もなく、冷たい墓石の下に眠らなければならなかったその子供は、今どうしているのだろうか?
次の輪廻に乗れた感じもしない。
せめて供養は続けて欲しいと思うが、それも叶わないことなんだろうね。
何度も何度も堕胎を繰り返す人も、想像以上に多い。
中には同意書にサインしてくれる名義貸しのパートナーまでご丁寧にいた方もいた。
さすがに10回を越えても懲りもせず、反省せずの繰り返しをしている方は出禁にしたことがあった。
女性は僧階を得ると348戒となり、男性より約98戒多く業があると言う。
ま、わかるような気がします。
私はこの話を聞いて知っているのに、ろくな供養もしてやれない。
私はしっかり精進して、法を授からなければならない理由がある。
諦めた子供の供養すらせず、しても一回こっきりとかで、不妊治療してます、子供授かれますか?と聞かれても私は何と答えれば善いのだろうね?
医療の発展に伴う弊害のひとつだと私は悲しくなります。
地蔵和讃でも聞いてくだされば本人、少し考え変えてくださりましょうか?
せめて慰めになるよう、ご供養はしてほしいと思います。
拙庵にサプライズで来てくださったお地蔵。
このお地蔵様が働きたくて動いているんだね。
私の不甲斐なさにご自分が動きはじめられたご様子。
このタイミングでお地蔵様と光明真言の版木が手に入ったことは、私の使命とも思います。