今日はとても重く、深い話をしようと思います。
是非皆様にも考えて欲しい難しい問題です。
私は一人の信仰者であると共に、一応医療者の端くれです。
ですから医療としての一般論は重要視しています。
医療としての妊娠開始の基準は❮着床して心音の確認❯が出来て初めてスタートするのが一般的かと思います。
今現在は試薬がとても精度が良くなり、しかもお手軽にオシッコかけるだけ。
あまりに初期に反応するから、胎嚢だけ見えても心音がなければ数日待ち、ある程度成長するのを待ちます。
それでも心音が確認が出来なければ、未成長として扱われます。
ようは、【中身がない】として次のステップに移るのです。
またこのようなケースの時は、所謂【胞状奇胎】の検査などが追加されます。
科学の進歩の賜物です。
で、私はこの基準で自分の体験を判断していました。
ここ重要です。
私は現在成人を過ぎた息子がいます。
その子を授かる直前に極初期の流産があり、この時の水子供養は何かの折に触れ、ご供養をしてきました。
しかも、◆◆家水子供養、として。
ここも重要です。
私はこの後、人生最大の衝撃の体験をします。
とある先生を、凄まじい法力をお持ちと尊敬する、キッカケとなった幾つもの会話の中の一つをご紹介します。
『あんたどうして先の水子さんの供養してあげないの?二人いるでしょ?流れちゃった子』とお地蔵様とともに、そのお言葉を頂きました。
しかも、状況やパートナーのことまで、細部に至るまで合致している。
しかし記憶が正しければ『胎嚢5ミリ未満心音確認出来ず』あと◎週たったら来てね。と言われた。
数日で生理が来たため病院にいくと、既に流れていた。
で、医療者から一般的な説明がある。
『育たないから心音が確認出来なかったのよ。きちんとした妊娠は心音が確認出来るものなの、、、たまたま入れ物だけ出来たけど赤ちゃんは入ってなかったのよ』と。
ん?
私は宗教的、信仰として水子を考えてない?
どこが妊娠の基準なの?
もう、疑問だらけと、そうなら、先の心音確認出来ず、でもほぼ生理と同じようなサイクルで流れた水子さん、そこも水子さんなのだ。
と先生のお言葉で認識間違いをしていたことに気付かされました。
庵に戻り悩みました。
医療者の友人を招き、この認識について話しました。
私の医療人として産科で語られる基準話は、恐らく一般的だと思います。
自分の認識間違いを棚に上げるつもりはありませんが、医療者としての基準を採用していた自分に、やっと気がつく事が出来て、◆◆家水子供養、としても認識していない魂は対象となっていない事も、わかりました。
だって、◆◆家水子供養をしていても『先の水子供養なぜしてあげないのか』と言う状況は認識していないからでしょう?
認識なくとも供養されるなら◆◆家水子供養に入ってしまうものね。
本当はこの話を発信力のある先生にお戻しして、皆様にお伝えしなければならないと、考えていましたが、どうもそれは叶わない事と思いますので、私が地道に御縁つながりした方を、少しでも認識の基準について、考えて頂ける事を広め、祈り、私の懺悔の一つとし、しっかり向き合って行きたいと思います。
そのため拙庵では、このお盆のご供養から水子供養については、
『○○年に流れた水子』や
『○◎年に断念した水子』とハッキリ特定し、思い出しそれぞれ信仰する各寺院様にお頼みするよう、ご案内させて頂くことにしました。
この認識の違いから、もれてしまっている水子さんの膨大な数を考えると、この貴重な体験をした私が、やらなければならないこと、やらせて頂きたいこと、がハッキリしてきた気が致します。
どうか全ての魂に暖かい光明が届きますように。
合掌