私は凡人愚民だが、時折先方様の魂が必要としてくださる場合に限り、応呼反応が起きるケースが稀にある。
それでね。
とある場所に行くと、ある犯罪被害者の方の無念の思念が、色濃く残っている場所がある。
未練とは違って、後悔の念と言うか、悔いても悔いても終わらない悲しみの感情の中にある。
しかも、これが単純に被害にあった件を悔いているだけでは無さそうな処が、なんとも切ないし、申し訳ない。
被害にあった件を悔いているなら、普通だと思うのですが、どうやら、家族やらその他の追善供養の約束を反古にされた無念の思念も渦巻いている。
存在すら無かったことにされた感じです。
中には自分の家の墓所にすら、入れてもらえなかった方も多数あったのか、その存在を直隠しにされたような、無念の思念がこれ程年月が経過しているのに、濃い想いとなって現れている。
つらかった痛みも悲しみも癒えていない悲痛な思い。
しかも今年はずいぶん騒がしい。
何回忌かの当たり年なのだろうか?
私はその犯罪を詳しく知らない。
生まれる前だか、小さかったのか実際のニュースはしらないが、ひどい人数の方々が凄惨なリンチによって尊い命を奪われた事件だったと聞いています。
テレビの回想録で何度かその代表的なニュースを見たのに加え、事情があってご遺体の検視の写真を何枚か見せて頂いたことがある。
本当に凄惨な暴行事件だったと見えて、頭部は頭部と思えないほど、四倍位の大きさに腫れ上がっていた。
私は最初何かの袋が頭に被せられているのかと思ったが、ひどい打撲で浮腫が進み、組織液が停留し腫れた結果の姿だと聞かされた時は、悲しみの中に落ちた。
人間とは時に非情に落ち、人の所業とは思えない程、残酷な事が出来るのだと悲しくなった。
ましてや、その瞬間まで仲間だったはずなのにね。
もうどの被害者の方も、そろそろ赦され、痛みや悲しみから解放されるべきだと私は思います。
私がアゲてあげられないことが申し訳ない。
細く長く御指導頂く先生の年末のご供養もお願いしました。
今の私に出来る精一杯です。
その場所から離れても、忘れてはならない御縁だと思っていますから、完全に忘れ去ることはないでしょう。
あれほどハッキリ残っているのって、なんだか悲しいですね。
でもきっと今回の年末には、明るい光明を照らして頂けると信じて疑いません。
もし良ければ皆さんも少し、犯罪被害者の方のためにも、祈って頂けませんか?