現在私の処は自宅の一角、六畳一間で庵をやっている。
やっていると言える程の事もない。
で、近所で庵にちょうど良さそうな平屋の和風家屋が売りに出ていた。
前の住人の方、なかなか信仰心もあったと見えて、備え付けの神棚も立派。もう同居して一緒に修行してくださいってナンパしてたけど、、、
残念な事に一人暮らしだったから、発見されたときには、ちょっと溶けてたらしい。
それは、そうなっちゃうよね。誰も居なければさぁ。
惨殺とかはちょっと私じゃ役不足、厳しいなぁ、と思うけど、自然死しちゃって溶けてたって、昔はみんな溶けるの待ってたわけですもの。
だから、信貴山に寄付してくれる人が出てきたら私が共に仲良く、供養していけるように、学ぶからちょうど良いよ~と思ってナンパしてたけど、売れちゃった。
私の御縁じゃなかったのかと思うとちょっとさみしい。
その話を皆様としていたら、溶けてたとか、怖くないのですか?と聞かれたがそもそも寺院も神社も祟り鎮めるためとか、刑場納めるためとか、いわく因縁多き土地なんてこと、当たり前なのに、溶けてた位怖いも何も無いですよね。
ずっと慰めるために神社仏閣建てて拝んでた処、そういうとこ、ぶっ壊してマンションとかにして誰も拝まないとかの方が、よっぽど怖いわ。
真っ直ぐにご本尊様にお任せするだけ。
あとはお給仕頑張るだけ。
それ以外には何もない。
人には出来ないことも、神様佛様なら叶うことあり。そのために誠心誠意お仕えするのみです。