自分の不勤勉をこれ程反省したことはない。
まぁ、ぼつぼつ其なりに自分ではまぁまぁ、お唱えさせて頂いてるほうかなぁ、と完全なる思い込みしてたね~
やらない方と比べて安心してたみたいな変な感じ。
先日の恵観先生のお弟子様や信者様のレベル違いの厚い信仰心、理趣経から三陀羅尼も、ほとんどの方が暗唱してらっしゃった。
しかもみなさん大きな声で熱心にお唱えするお姿は純真無垢な少年少女合唱団のような、イキイキとした表情で、とても楽しそうに佛様とのコミニュケーションをされているようだった。
もちろん実年齢はたぶん還暦は迎えたか、その近辺の感じだけどみなさんとてもお元気そうでした。
ほとんどの方が有髪で、おそらく普段は別のそれぞれの仕事を持ち在俗得度の方や、一般のご信者様ばかりとお見受けしました。
お恥ずかしいことに、佛頂尊勝陀羅尼、般若心経以外は私は見なければ危うい程度の読経しか出来なかった。
しかも思うさま、宝篋印陀羅尼間違えたし。
修練の賜物みたいな方々があれだけ一堂に会し先生の護摩に読経の花を咲かせる。
大輪の牡丹や向日葵のような花が咲き乱れるようだった。
お噂にはお聞きしていたけど、何故、恵観先生の護摩は別格だとおっしゃっる方々がいるのか、言わんとすることがすこし感じられたように思います。
牽引力っていうか、この無宗教時代に突風っていうか、台風を引き起こすっていうか、みんなをからめて、みんなまとめて引き込んで行くような、計り知れないカリスマ性っていうか、佛様を体感させ信じる力を増幅させる力がすごいって言うか、普通の人がお経を読みたい!真言を唱えたい!っていう気持ちにさせる輪が出来ている不思議を、目の当たりにして、だいぶショック受けてるのかもしれないと気が付きました。
なんだかんだ言って理趣経さぼって理趣分しか読まない日が続く今日この頃。
自分のダメさ加減に打樋しかれてます。
せめて三陀羅尼位は毎日やろう。
いやいや、まだ言い訳だらけの苦海で游ぐ私はまずは、週の半分を目標にやろう。
出来ない約束は佛様とはしちゃならん。
宝篋印陀羅尼が苦手だとか言ってちゃダメだね。
ダメな私と組んじゃった毘沙門天王様に申し訳ない( TДT)
この落ち込みようは只事じゃない、自分の足りなさを反省させてくださるためのサプライズだったと、やっと気がつきました。
(;´д`)