私の人生は、ここまで来るのに何度も❮ここまでか❯と言うことがあった。
その中でも現代だから助けて頂けた経験をお話しようと思う。
私のお産は【三日苦しんでも産めず、結局切って出す】と言うものだった。
早い話、現代じゃなかったら親子共々この世にいない。
一日目
促進剤と海草の束で出口を広げ、更に風船を中に入れ頭部サイズにしたものを、時間をかけて排出する事で出口を広げる。
二日目
一日目と同様に風船を産む。局部だけでなく全身に力の入った筋肉痛と共に局部もその周辺も激痛とか、もう『なんで性交したのか?』と言う処からの後悔をする程の激痛と疲労感。
三日目
『ほら陣痛にあわせていきんで。今痛いでしょ、いきんで。』と言われても全身どこもかしこも痛くて陣痛の判別つなかい。もうあまりの痛さに天井の張り合わせの隙間を、ボーッと見ているしか出来ない。
挙げ句に大先生から『武井さん筋肉ないから産めないんだよ』と辛辣な激励。
若先生から『もう髪の毛見えてますから頑張って』
助産師さんたちも、応援してくれるけど体力の限界は時既に遅し。力を入れてるつもりでもびくともしない頑丈な我が子。
大抵抗してんの。
三日目の夜、若先生から『心音下がってきちゃったから切りましょうか』
私『お願いします』
腰椎麻酔で全裸にならなきゃならないけど、そんな羞恥心を思うより疲労脱力感の圧勝。
我が子『ふぇぇ~ふぇぇ~』
お誕生おめでとうございました。
最初から切れば良かったと心から思う。
23年前の出来事ですが、つい先日の話のようにその日、何があって何を言われたかほとんどの事を鮮明にバッチリ憶えてます。
そんな可愛らしい息子も成長と共に悪態ついて『産んでくれって頼んでない』とか言ってきたことがある。
もちろんきっちり言い返す。
私『私が親で良いからって自分で選んでお腹に入ったのよ、親選び失敗したの自分でしょ諦めな。』
と言うことで、うちは小僧さんとはまぁまぁ仲良いですよ。
帝王切開が出来ない時代だったら、親子共々今この世で学ぶ機会を得ていないね。
これがキッカケで、❮医学の進歩に感謝と感銘、ちゃんと人を助けると言う実感を持って生きる事❯と考えさせられ、准看護学校に通うことにしてみました。
現在生活にその資格が生かせてないのは残念ですけど。
子供が1歳2ヶ月の時から学校通って、卒業と共にバツつけたから、上の資格までは取れなかったけど、良い選択か出来たと思っています。
小僧さんには寂しい思いをさせちゃったけどねぇ。すっかりおバァチャンっこです。
小僧さんのおかげで私も成長させてもらってると思います。
写真は蓬餅、これ美味しいわぁ。