佛様は本当は、とても身近にある。
でも、凡人愚民の私には、以前は畏れ多く遠い遠い存在でありました。
でも、佛様って特別な存在だから、私みたいな落ちこぼれにも理解出来るように、色々に化生しては、不思議。
化生しては存在を教えてきてくださった。
迷う時にも辛抱強く、急がず焦らず期が熟するのを待ってくれた。
そりゃそうだ。
私達の一生なんて佛様にとっては、一呼吸でしょう。
焦ったからって結果はそれ程かわらない。
実際は化生ではなく、間借りだったかも知れないが、時にはアリンコのように、時にはオッサンとなり、時にはガキンチョのように、後から考えると不思議連発だったりするのね。
直近だと富士浅間大社の駐車場で出会ったオッサンは、間借りだか、化生だったんだろうな?と思っている。
https://byakuren-an.hatenablog.com/entry/2022/03/09/205709
で、何かを教えに現れていると考えさせられる。
どれもね、後から考えても、わかりやすいの。
お大師様は特に、その時には全然わからない。
でも後からジワジワ、『あれ?お大師さんだったんじゃないかい?そうよね?人間じゃあり得ないねぇ』と気付かせてくれる。
私の皆様から聴かせて頂いた不思議談は、後からジワジワばかりですね。
私の脳ミソの不出来は、単純明快じゃないとブラックアウトしちゃうんだか、フリーズしたまま、強制終了してしまう。
私が佛様の学びを始めた頃に、こんな話をしていた人がいました。
『佛は、その時、その人に合わせた教えを説きます。何故なら、それ以上でもそれ以下でも理解出来なければ、説かないのと同じだからです。』
と言われた。
だから、私はその当時、観音様もお不動様も、男っぽい姿か、女っぽい姿か程度の理解しかなかったから、般若心経と不動慈救呪だけで、充分に佛様と向き合えた。
ぶっちゃけ、その当時はどの佛様を見ても、不動慈救呪だけで、レッツゴーな馬鹿でした。(塵にも変身出来るんだから違う意味で、今はこれも正解だったと思ってますが)
落ちこぼれでも佛様が好きな事にかわりはない。
なんなら、単純明快だから、脳ミソ豊かな人より、幸福指数は高いのではないか?とさえ思える。
馬鹿は馬鹿なりの良さがあり、誰よりもピュアに佛様と向き合えるから、もういっそ、馬鹿で良かったとすら、最近思える。
私は私に出来ることを続け、私にしか出来ない【落ちこぼれを見捨てない、切り捨てない佛様へのコンシェルジュ】を目指します。
と、今日は思いました。
早々に目標変わるかもだけどね( *´艸`)
ありがとうございます。
一人の武将が名を残すには、名も無き多くの犠牲の上に、名を残す事を知らんぷりしては佛様は笑顔で迎えてくれるでしょうか?
私はその他大勢の一人として、佛様の事を、平仮名で教える人になりたい。
昔は絵心経があったくらい、その他大勢の方が多いのよ。
現代だっておんなじみたいなもんじゃね?