まぁ、可笑しな夢の話だと思って下さい。
山の神様に捧げられた少女の生贄は、土砂崩れを防ぐために生贄となりました。
生贄として亡くなり、肉体は太陽の中に吸い込まれるよう、次世へと旅立ちます。
吸い込まれるよう太陽に近づくと、大きな大きな、鯰髭を蓄えている顔だけの佛様が、ジーッと、こちらを見ていました。
神様に捧げられた少女は、佛様に迎えいれられたのでした。
すると、その少女は今世では、佛様の遍満する寺院が大好きになり、強い憧れを持ち、生きて行くのですが、神社があまり得意ではなく、伺うことがほとんどありませんでした。
しかし、その生贄となった時に迎えに来た❮先に生贄となった子供たち❯の中の一人と思われるひとが今世、神社とのご縁も付けてくださり、神社にも素直に詣れるようになったのでした。
もちろん、❮先に生贄となった子供たち❯は、何人もいました。
みんな一人一人が役割を持って、生きているのでしょう。
少女が吸い込まれた先で、迎え入れてくださった佛様の顔は、忘れません。
そして、ひょんな事から、とある寺院の美術目録誌をパラパラと、、、ある佛様を見た時に、『あの日迎えた佛様』にそっくりな佛様を見つけました。
ある意味、これまでの謎が一気に解凍され、今世でやらねばならないテーマを、思い出したのかもしれません。
なんだか、よく解らないこともありますが、毘沙門天王様に信仰を集中し、気持ち全てを毘沙門天王様に寄せた瞬間から、答え合わせを始めてしまったようです。
やりたいこと。
山に登るのは登り切れずに、心を残してしまった魂と共に登るため。
処刑場でも、どこでもお詣りするのは、心を残してしまった魂を、佛様に繋げるため。あの時の少女のように。
ある意味、ものすごい衝撃を受けています。
あの日の佛様は、この方だったのだと思います♪ミツケチャッタ
橫死、刑死だけじゃなく、生贄にも功徳をくださると言うことなのでしょう。
ようは、無念を残した魂は、この佛様がお守りくださると言うこと。
なんでか、毘沙門天王様に近づけば、近づくほど、この佛様も近くなる。
もしかしたら、変身している?(笑)