白蓮庵のブログ

群馬大好きおババ 七合目の行者悠眞 白蛇くぅチャン♪るぅチャン♪とのラブリーな生活や大自然との共生、お詣り報告やファンタジーワールドIF愉快な仲間たちとの修行体験記。ほぼ雑談。いや、ほぼ食べ物の話かも。

同行二人

私は信貴山で学びを進めさせて頂いていますが、なるべく本山詣りの前後のどちらかには、高野山でお大師様に『今回もお詣り叶いました』と、ご報告にあがる形で御礼詣りさせて頂いており、お大師様も毘沙門天王様にならぶ、私にとって大切な信仰の支えであるのです。

一応私も真言宗で学ぶものとして、また指導して頂いてる諸先生、諸先輩のほとんどが、真言宗の方々です。

ですから、自然と思いの中に『同行二人』。

実際はお大師様本人と言うより、志を同じとするお大師様ファンクラブの先輩が、護法さんとなって同行してくださっているものと、信じ疑いません。

また私の学ぶ信貴山千手院は信貴山の中でも最古であり、記録残す処でも1100年以上、護摩が続けられ、法界力のご同行には確固たる毘沙門さんへの篤い信仰心に護られています。

また、特に細く長く御指導頂いている先生のご修行は、『同じ行をするものの合わされた佛様の威力』は私たちも多くの体験、体感させて頂いており、真言を同じく唱えるものの力の素晴らしさはよく、存じ上げております。

 

ですからご同行する事の意味と意義、例え同じ場所におらずとも、志を同じくする同志の法界力により、ご神仏様との距離の近さを感ずるご同行に、大きな意味を感じております。

強いて言うなら、例え時を違えても、同じ真言を唱えるなら、同じ佛に仕えるなら、同じ行いを共にするなら、そこに摩訶不思議な同行二人を体験させて頂け、肉体は例え一人であっても、折れない、曲がらない心の支えとなると私は信じています。

 

ですから例えば、『ご一緒しない』と『ご同行しない』は同義ではないし、ご神仏にも今までの歴代の1200年以上のご同行の方々にも、『ご同行控えさせて』などとは失礼極まりない言い方で、弘法大師空海様の信仰者として私は、そんな言い方が簡単に出来るとするならば、その衝撃とショックが大きく、私の中の魔物を叩き起こし引き出すには充分な、呪文です。(笑)

また、それがお頼みして、客人として招かれた他宗の伝統作法に関する発言であるならば、尚更恥ずかしさが勝ち、私はこれを噛み砕いて飲み込める気がしない。

気が遠くなるとは、こう言う状態をいうのでしょうね。

呆れてものが言えない。

こう言うのを聞かされるってことも、今までの私の業の表れ、ご修行なんだろうね。


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こんな感じが日常の食卓。海のもの川のもの、極希に鳥は感謝して頂いてます。