真剣に向き合えばこそ、引き時,進み時と言うものが人にはあると気が付きました(笑)
それと同時に大きく足りないもの、今回の書写では、あぁ善き教えに巡り会えました。
大した戒を持する事すら出来ていない私が、佛様の事を偉そうに学ぼうなんざ、とてつもない罪を重ねに行っている、業の深み淵にハマるような恐ろしさを学ぶ事が出来ました。
盛る器が欠けてるのに盛ったところで汚すだけ。
先ずは戒を持する処が一番重要な衣装?そこが疎かじゃ下着で歩いてるようなものだわなぁ。恥ずかしすぎる。
まぁオバちゃんたから現実下着で歩いたってヘッチャラだけとね(笑)
見ちゃった人が気の毒なだけ。
今回の書写は心に深く深く刻まれました。
先ずはこの懺悔文の意味を善く理解し可能な限り持する処から、やり直したいと心から思いました。
優婆塞、居士でも沢山に立派な方は居られた。
何を焦ることがあろうか。どのみち今生はとうに折り返しておるのだから、ゆっくり歩こう上州路。
現代は忙し過ぎる。心を亡くす【忙しい】を修行に持ち込んではならないと思う。
人には分相応ってものがある。
私は優婆夷どころか、七合目止まりの行者が丁度善いのじゃないかと心から思いました。
いやいや、お坊さんごっこ位が分相応かもね。
そりゃそーだ(笑