白蓮庵のブログ

群馬大好きおババ 七合目の行者悠眞 白蛇くぅチャン♪るぅチャン♪とのラブリーな生活や大自然との共生、お詣り報告やファンタジーワールドIF愉快な仲間たちとの修行体験記。ほぼ雑談。いや、ほぼ食べ物の話かも。

【逃げ出す侍】前世療法の結果(超長文)

私は前世療法を受けることを❮今生を快適に過ごすヒントにする❯と思い、肯定派です。

 

私は前世療法の体験の中で、戦に行く武士だったことが一度あるらしい。しかし最後は逃げ出して生きたこと、後悔に満ち溢れた前世をヒントにして、今世の学びに繋がっているんだよ~と言う不思議のお話しをしよう。


直接仕えていた人物の名前はわからない、私自身一人の名を残すような武士ではなかった。
その他大勢の中の一人。

その時の最高責任者は有名な方であったようです。
時折その方が、他の武士を蹴りとばして、吹っ飛ばしていたり、私はその人の事が怖くて仕方なかった。
お仕えすると決めたのに、いつも暴力的なところを見てはびびっていた。

 

ある時、大きな戦があり、私も戦力の一人としてその戦に挑んだ。沢山の人が死んだ。
まわりじゅうが真っ赤だった。
恐怖と嫌気で戦気も皆無。


こんな生き方は真っ平ごめんと思い、山積みになった死体の山に、死体のふりをして隠れて三日目にひと気がなくなり、コッソリ抜け出し川づたいに下った。

木のウロで雨をしのいだり何日も歩いた。

しばらく進むと川の畔にずぶ濡れた一人の女性が倒れている。
死んでいると思っていたが近づくと、息をしている。
声をかけ支えて一緒に歩き出すが女性の熱が高く、進むことままならない。

 

山あいにに一際大きな家があったので、旅の夫婦を装って一晩の宿をお頼みし看病させてもらう。
熱が引くまで数日かかったが家の人は快く離れを使わせてくれた。
もちろんその間、せっせと薪割りや鶏小屋の修復など懸命に務めた。
その家の人に『行く宛も無いならこのままに』と提案され、言葉に甘えて離れに住まわせてもらった。
大きな屋敷であったので小姓を探していたところで、お互いの利害が一致したのだった。

 

しばらくはその女性と二人であったが、本当に夫婦となり、近くの子供を集めて文字を教えたり、だんだん親のいなくなった子供を世話したりするようになった。
それなりに幸せに暮らしていた。

 

ある日旅人が立ちよった。
その人から聞かされた話は、
『最後は籠っていた寺に火を放たれみんな死んだんだと』
昔の仲間も、 みんな死んだ?


仕えると誓ったのに逃げてしまい、自分だけ幸せに呑気に暮らしている事への罪悪感で押し潰された。
何日も悩んだ挙げ句に妻と主に『みんなが亡くなった場所に行き骨を拾ってやりたい』と頼み旅支度をする。

 

旅に出る。
その場所につく。
雨が降っているが焼けた木材の酸味のある匂い。
柱だったとおもわれる焼けた木が、雨の中で立っているだけの場所。
亡骸や大きな骨は一つも無い。
しかし、よくみると小さな骨や顎などが散乱している。
元が誰であったかわからない。
仕えると誓ったのに逃げた自分を呪った。
この骨は敵の骨かもしれない。
でもかつての仲間の骨かもしれない。
もうそんなことはどうでも構わない。
いても立ってもいられず、骨を集める。

ひたすら骨を集める。


通りすがる人に『籠を譲ってくれ』と懇願するが誰も相手にしてはくれない。
骨が山積みになってゆく。


何日かして一人の男性が『これを使え』と真新しく編んだばかりの大きな竹籠をくれた。
このために編んでくれたことがわかり、感謝をした。
精一杯の感謝を伝え骨を籠につめた。


道すがらにある寺院を一軒一軒訪ね、弔いを頼むが相手にされない。
寺で焼き討ちされた残党と思われ、関わらないと決め込まれている様子だった。

 

数日途方にくれ座り込んでいると池の見事な僧院の坊様が中に招き入れてくれた。

『この穴の中に骨を撒けなさい、拝みますよ』と言われ安堵し感謝で涙を流す。
何度も何度も御礼を伝え、その竹籠くらいしか持ち物がなく、それを置いて感謝の意を伝え、元の家に戻った。
(ちなみにこの僧院はずいぶん大きく見事な壁が増えていますが、京都市東山区に当時の面影を残し現存してます。)

 

 

家に戻ると妻も主も優しく迎え入れてくれたが、もう心が壊れていたんだね。
それまで勤勉に小姓として仕えたり、子供達に読み方を教えたり、それまでの生活は全く出来なくなった。

一人で山に入っては、石仏を彫るようになる。
何日も家には戻らず山で一人黙々と石を彫り続ける。

 

逃げた罪を後悔し、かつての仲間の弔いを一心に下手くそなお地蔵様のような石仏を何本も何本も彫っている。
一心不乱に彫り続けるのを見かねて、その山の坊様が『お経をおしえてやるから寺に来なさい』と声をかけてくれたのに断り、石仏をひたすらに彫り続けた。


おびただしい数の石仏が目の前にある。100体はあるだろうと思われる。
それにしても下手くそなお地蔵様みたいな形をしている。

 

それが完成すると満足そうに妻の元に戻っていった。
しかし、脱け殻だった。
妻には悪いことをした。
子供達を任せっきりにして、肩身の狭い暮らしをさせてしまった。

 

と、こういう前世だったと、誘導の巧い姉弟子の前世療法で見せて頂きました。


すごくリアルで匂いや、手に伝わる濡れた感触とか、手触りまで感じた不思議な体験でした。
だから、かなり近い前世だと思いました。

 

石仏かお地蔵様で同じものが100体もあるなら、現世の今にもそれが残ってるのではないかと調べました。


でも、ピンと来るものはなかった。
でも、石だから残っているのが普通。
と、日常を過ごしていた。
いつかは見てみたいと思い過ごしていた。


前世断ってしまった後悔があったので、今世ではお坊様にオススメ頂けたお経は断らず、進んで教えて頂こうと思っています。

 


で、リベンジ得度の翌日、いつもは二の橋から伺う高野山奥の院での一幕。
その日は私にとって特別な日でありました。
私にとって今生での『生まれかわりである』儀式を信貴山で終えた報告をするため、一の橋から奥の院に向かった。
信貴山での五体投地と山内挨拶の翌日だから身体はギシギシ痛む。歩くのだけで精一杯。
だから余計に感応しやすかったのかもしれない。


ある場所まで行くと身体が左側の山側に引っ張られる。
何故か前に進めず。
左側に寄っていってしまう。
不思議な感覚で、もうこれも御縁だな。
と開き直り身体を任せた。
階段を登り一つ角を曲がり、広い墓所にたどり着いた。
その墓所には宝篋印塔の先のような〖一見、お地蔵様のシルエットに見える〗石塔が100体を越えそうな程、置かれている。
『あぁ、これ作ったわ』
私は前世の風景を重ねてみた。
たぶんあの前世療法で見た下手くそなお地蔵様に見えたものはこれだ!と思った。

 

いくつもの墓標があるが、その中の一つから目が離せない。
『この人に仕えた?この方を知ってる?』
と、自然と思った。
また不思議なことに、この墓所の主の家紋と、現在の私家の家紋が同じ。
平時に使用されていたと言われている❮丸に結び雁金❯
が、私の家の家紋。今は何の関係もないが女系の曾祖母は信州上田から来た方だったらしい。


この墓所のお宅の家紋と同じであることは、本当に善くも悪くも因縁のある処に生まれ変わると言う話を、信じるに充分でした。

ちなみに、その焼き討ちされた寺紋も、若干の変形はあるものの同じ、丸に結び雁金である。

 

拙い法楽をあげ、奥の院へと急ぎました。
私が前世で作ったであろう、石塔を拝めた事は本当に良かった。

しかも同じ家紋の家であると言う御縁深き墓所にあったことは、より一層、因果論を考えながら今生を楽しませて頂けるきっかけとなりました。


こんな不思議なこともあるのです。


これが間違いであっても、ただ似ているだけの場所だったとしても、たまたま偶然の重なりであっただけでも善いのです。


少なくとも私の揺るぎ無い信仰の土台となったことは、間違いの無い事実となりましたし、なにより、不安は一切合切吹っ飛びました。


私にはやらねばならない事がある。
だから迷っている暇なく、足りない脳ミソでも、お経を学ぶのです。

【生まれてきた事には必ず意味がある。一人一人お役目を持って生かされている。まだ気付いていなくとも必ずお役目がある】と私は思います。


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まずは一歩、般若心経を読めるようにしましょう。


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